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横浜中華街をもっと知ろう〜中国に関する豆知識〜

歴史

開国後初の教会 横浜天主堂

1505-07

キリスト教と横浜中華街。あまり結びつきをイメージすることはできませんが、ペリーが来航し、日本が開国してから最初に教会が建てられたのは横浜なのです。
その跡地は横浜中華街のそばということで、訪ねてみました。

横浜中華街のそばに建てられた教会

みなとみらい線「元町・中華街」駅の2番出口からすぐ。横浜中華街でいえば朝陽門の近くに、「横浜天主堂跡」という名の交差点があります。
その交差点のすぐそばにキリスト像が立っているのをご存知ですか? 高層マンションを囲うように植えられた木々の間に静かに佇んでいるので、目の前を通っても気づかない人もいるのではないでしょうか。ここは、かつての居留地80番地。横浜で初めての教会「聖心聖堂」が建設された場所です。正式名称は「EGLISE DU SACRE-COEUR」。しかし、キリスト像の台座には「横浜天主堂跡」と刻まれています。
教会の名称と台座に刻まれた名称が違うのは、教会が横浜中華街のそばに建てられたということに理由を見ることができます。
横浜中華街には中国人が多く暮らしているので、教会の入り口に中国語でカトリック教会を意味する「天主堂」の文字が掲げられていたそうです。そこから「横浜天主堂」という呼び名が定着したのだとか。

日曜日をもたらしたのはキリスト教?

日本は開国する以前から、聖フラシスコ・ザビエルによりキリスト教の普及が行われていましたが、厳しいキリシタン弾圧が続いていたため、多くの日本人に定着しているとは言えませんでした。
そこでペリーが来航してから2年後の1855年に、パリからジラール神父らが来日。
ジラール神父らは、まずは那覇へ移住し日本語を習得しながら、日本での活動の足がかりを築いていきます。駐日フランス代理公使ベルクールの通訳官として江戸に上ってからは、横浜に馬車で通いながら、定期的にミサを行っていたようです。
そうしたジラール神父らの活動により、1862年、横浜天主堂は国宝としても有名な長崎大浦天主堂よりも早く献堂されます。
港だけでなく、教会からも海外の文化が伝わることになりました。その一つが「日曜日」という習慣です。海外ではキリスト教の影響もあり、日曜日は仕事を休み、教会で祈りを捧げることが習慣化していました。休日という習慣がなかった日本人にとっては驚きだったと思いますが、今では週休2日という学生さんやサラリーマンも多いはず。こうした些細なことにも異国の文化の影響を感じますね。

歴史はカトリック山手教会に引き継がれ

横浜天主堂は、白い壁に十字架を掲げた美しい建物だったようです。多くの日本人も訪れ、ジラール神父は教会堂にかかる絵画の説明をしながら、キリスト教の真理を解きました。
キリシタン弾圧の影響もあり、なかなか思うように普及は進まなかったものの、それでも横浜天主堂は信仰のシンボルとして守られ、1906年には横浜天主堂が山手へと移転されます。現在のカトリック山手教会です(山手町44番地)。
カトリック山手教会は、ステンドグラスと、緑色のとんがり屋根が目印の美しい教会です。カトリック教徒でなくても結婚式が挙げられるということもあり、地域に開かれた教会として知られています。

「元町・中華街」駅を利用したなられ

横浜天主堂はなくなってしまいましたが、天主堂創建100年を記念して建てられたキリスト像の姿に当時を偲ぶことができるでしょう。
街角のちょっとしたところに歴史を見ることができるというのも、長い歴史を持つ横浜中華街ならでは。「元町・中華街」駅を利用した際には、ぜひ横浜中華街の歴史スポットを訪ねてみてください。

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