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歴史

横浜赤レンガ倉庫って何の倉庫だったの?

1505-05

横浜の象徴として、地元民から観光客にまで愛される横浜赤レンガ倉庫。海風を感じながら、その風情と歴史を味わえる名所として、さらには食事や買い物を楽しめるショッピングスポットとしても知られています。
ですが、もともとは何を入れる倉庫だったのでしょうか? 今回は、横浜赤レンガ倉庫の歴史に迫ります。

荷物を補完するための倉庫だった

黒船を率いてペリーが来日し、開国を求めたため、人口500人ほどしかいなかった横浜村に港を造ることになったものの、当初は船が着くための岸壁すらありませんでした。
そこで日本政府は、本格的な波止場の建設に乗り出します。1986年、第1期築港工事として大さん橋の前身である鉄さん橋を建設しました。
鉄さん橋が竣工し、海外からの船が盛んに来航するようになると海外貿易は急発展します。鉄さん橋だけではすぐに対応しきれなくなったので、第2期工事として新港ふ頭の建設に着手するのですが、それに伴って2つの倉庫も造られました。
倉庫の用途は、海外から運ばれてきた輸入手続きが完了していない物資を一時的に保管すること。「横浜税関新港埠頭倉庫」という名称で呼ばれていたレンガ造りの倉庫こそが、後の横浜赤レンガ倉庫です。

最新鋭の限りを尽くして

横浜港に向かって右手が1号倉庫、広場を挟んで左手が2号倉庫です。1号倉庫は1913 年竣工ですが、それよりも先の1911年に2号倉庫が竣工されました。
日本初の荷物用エレベーターや消火水栓(スプリンクラー)、火災の拡大を最小限に抑えるために庫内を区切るように設置された防火扉などを搭載。また、地震対策にも余念がなく、「定聯鉄構法(ていれんてつこうほう)」というレンガの間に鉄材を埋め込むことで耐震強度を高める画期的な工法が採用されました。レンガはすべて国産品で、2号倉庫だけで318万個近く使用されたといいます。最新技術を惜しみなく導入した建造物として非常に注目を集めました。
関東大震災では甚大な被害を受けた横浜でしたが、この耐震構造が功を奏し、2号倉庫は大幅な損壊を免れます。しかし1号倉庫は大きな被害を受けました。竣工当時のほぼ半分の大きさに縮小されるという大規模な改修工事を終え、その働きを取り戻します。
第二次世界大戦中は、軍事物資の補給基地になるなどしながら歴史を刻んできた2つの倉庫でしたが、海上輸送のコンテナ化が進み、新たなふ頭が整備されることでその役目を終える日が来ます。1989年のことです。

歴史が刻まれたスポットに

横浜市は、倉庫としての役目を終える以前から、歴史的資産として高い価値を持つ建造物として保存するために動いていました。そして2002年4月12日、約9年に及ぶ大規模な工事を経て誕生したのが、横浜赤レンガ倉庫です。
1号館(1号倉庫)はホールや展示スペースを備えた文化施設、2号館(2号倉庫)はレストランやショップなどがそろった商業施設に生まれ変わりましたが、100年以上も歴史を刻んできたレンガや防火扉、階段室など創建当時のものを最大限活用しています。館内の至るところに横浜赤レンガ倉庫の歩みを感じられるものが残っているので、ぜひチェックしてみてください。
そのリニューアルは高く評価され、経済産業省の近代化産業遺産に認定されただけでなく、2010年には、アジア太平洋地域の文化遺産の保存・修復における官民協力を推奨・称える、ユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞優秀賞を日本国内で初めて受賞しました。

今も愛される歴史的建造物

高層ビルが立ち並ぶ横浜の街で、強い存在感を放つ横浜赤レンガ倉庫。横浜の海と空の青に映えるレンガ色の建物は、数ある横浜名所のなかでも抜群に目を引きます。ショッピングやグルメを楽しんだ後は、少しだけ横浜の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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