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横浜中華街をもっと知ろう〜中国に関する豆知識〜

うんちく

横浜中華街の店で見かける逆さまの「福」の謎

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横浜中華街を歩いていると、日本では見かけることのない装飾が目を引きます。そのなかで目立っているのが「福」の字が書かれた飾り。でもなぜか、どれもが上下逆さまに貼られています。日本では、「逆さ福」や「倒福」と呼ばれているこの逆さまの「福」について、意味やエピソードなどをたどりながら、謎解きをしてみましょう。

逆さ福・倒福の読み方と風習

逆さ福・倒福の飾りは、中国に古くから伝わる風習に基づいたもので、中国人が経営する店でよく見かけます。中国では、旧暦の正月を迎える際に、門、壁、鴨居などに「福」の字が描かれたものを飾ります。新たな年も「福」を家に迎えて幸せに暮らせるようにという願いを、お飾りという見える形にして祝うのです。
この風習が、いつしか「福」を逆さまにして貼るように変わっていきました。中国語で「福が逆さまになる」という意味の「福倒了(フー・ダオ・ラ)」が、「福が来る」という意味の「福到了(フー・ダオ・ラ)」と同じ発音だったからです。そもそもは、旧暦12月24日になると正月の準備を始める中国で、新年の書き初めに似た習慣があり、縁起のよい字を選んで書いたものを、正月用の装飾品に転用したものと考えられます。

逆さ福・倒福にまつわる3つのエピソード

逆さ福・倒福がこれほどまで広く一般に広まることになったことについては、「福」の字を逆さまにしたいくつかのエピソードが影響しているようです。代表的な3つのエピソードをご紹介しましょう。

エピソード1:恭夫人がむち打ちの刑を許した使用人の機転

清朝の時代、恭親王(きょうしんのう)に任ぜられていた愛新覚羅奕訢(アイシンギョロ・イヒン)が住んでいた恭王府での、春節前夜の出来事です。
使用人が新年を祝うため、宮殿の扉に奕訢の奥方である恭夫人の命令で「福」の字を書いた紙を貼ることになりました。ところがこの使用人が無学であったため、逆さに貼ってしまったので、「福を逆さまにする(フー・ダオ・ラ)とはなんと失礼な!」と恭夫人がたいそう怒って、むち打ちの刑にすると言い出しました。
驚いた使用人はとっさに、「いえ奥様、福が来る(フー・ダオ・ラ)ようにと、このように貼ったのです」と言い訳をしたところ、恭夫人のご機嫌が直り、ご褒美までもらえたことにちなんで、逆さ福・倒福が広まったという説です。

エピソード2:悪女・西太后の激怒をなだめた宦官の言い訳

同じく清朝末、恐怖政治で統治したことで知られる西太后が、旧暦12月24日に皇帝直属の秘書室の役割を果たしていた翰林院に命じて、春節を祝う文字を書かせました。ところが、誰も「福」の字を書かないので機嫌を損ね、自ら手本にするための「福」を書いて渡し、翰林院の識者たちには追従してこれを写しました。
さらに西太后は、宦官(かんがん=宮廷に使える役人)の大総管(=宦官のリーダー)である李連英に命じて、部下たちに宮廷の各所へ自分が書いた「福」を貼り出させました。すると、宦官のひとりが誤って逆さに貼ってしまったのです。これに気付いた西太后が李連英を呼び出して叱りつけようとしたところ、「逆さ福・倒福(フー・ダオ・ラ)は福来たる(フー・ダオ・ラ)と同じ読みなので、縁起がいいではありませんか」と言い訳をしました。それで西太后の機嫌が直り、褒美が与えられたことにちなんで、逆さ福・倒福が広まったという説です。

エピソード3:一家皆殺しの禍を逆転

元朝の末期、明を起こそうとしていた朱元璋は、南京攻略の際に、“町の人々に味方になるなら「福」の字を書いた紙を表に貼り出すように”と通告します。朱元璋一行は、この貼り紙がない家は敵とみなして皆殺しにするつもりだったのです。
南京の町ではこれを恐れて全戸が「福」を貼り出しましたが、1軒だけ逆さまに貼ってしまった家があったのです。朱元璋はこの家の者を皆殺しにするように命じようとしましたが、これを耳にした奥方の馬夫人が、「逆さ福・倒福(フー・ダオ・ラ)は福来たる(フー・ダオ・ラ)でもありますよ」となだめて、この一家は命拾いしました。その幸運にちなんで、逆さ福・倒福が広まったという説です。

お土産で渡すときは「逆さに貼って」とひと声添えて

肉まんや中華菓子が定番の横浜中華街土産ですが、逆さ福・倒福の飾りは縁起物として喜ばれ、かさばらずに軽いというメリットもあります。「逆さにして飾るんですよ」とエピソードを交えてプレゼントすれば、受け取る側の喜びをアップさせることができるでしょう。
横浜中華街のお店を訪ねてこの逆さ福・倒福を見つけたら、「フー・ダオ・ラですね」と店の人に声をかけてみましょう。もしかしたら、あなたにも「福」がもたらされるかもしれませんよ。

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