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横浜中華街をもっと知ろう〜中国に関する豆知識〜

グルメ

「担々麺」を汁ありにしたのは“鉄人の父”だった!?

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激辛フードのブームもあって、ラーメン界でも注目を集めているという担々麺。横浜中華街を歩いていても、あちこちにオリジナリティあふれた担々麺の看板が目を引きます。
担々麺は、中国料理のメニューにある麺として日本では知られるようになっていますが、そもそも担々麺というのはどこから生まれてどうやって日本に広まったのでしょうか?
担々麺のルーツと変遷、隠された謎について明らかにしていきます。

担々麺のルーツは屋台の汁なし麺

担々麺は、中国・四川省が発祥の麺料理。ひき肉やザーサイなどを細かく切って炒め、辛みの強い味付けにしたものをゆでた麺にのせます。
原型とされる四川の担々麺が生まれたのは19世紀中頃のこと。四川省の自貢という都市に住んでいた陳包包というニックネームの人物が考案したものだと伝えられています。
陳包包が売り出したのは、湯通しして温めた麺に、四川ならではの辛みの強い味付けをした具を乗せただけのシンプルなファストフード。炭をおこした七輪や鍋、材料に食器や桶などを天秤棒の両端につるし、それを担いで四川省の中心地・成都の街を移動販売したところ、これが大流行したようです。
現在の四川省で供される担々麺は、汁がないことが大きな特徴です。これは、天秤棒を担いで売り歩いていたため、スープを張った麺を作ることができなかったためと考えられています。
また、もともと麺は点心の一種と考えられているため、汁のないスナック感覚の食べ物として広まったのでしょう。
一般的な四川スタイルは、花椒(ホアジャオ)とラー油を加えて風味を出したタレ、ゆでた麺、豚のひき肉を炒めた脆臊(ツイサオ)と、ザーサイやネギを刻んだものなどを使います。

日本ではラーメンのバリエーションとして人気に

担々麺を日本に広めたのは、「日本の四川料理の父」と呼ばれた陳建民(ちんけんみん)氏だといわれています。陳氏は、奇しくも四川省自貢市の生まれだそうです。
陳氏は、第二次世界大戦後の中華人民共和国内で料理の腕を磨き、名だたる大都市のレストランを渡り歩いた後、1952年に日本へやってきます。
日本でもその腕を認められて店を任されるようになった陳氏は、テレビの料理番組にも出演して、お茶の間を通した中国料理の普及に貢献しました。
陳氏の中国料理は、本場の味をそのまま伝えようとするものではありませんでした。“私の料理にはちょっとだけおいしいウソが混じっている”と公言して、日本人の味覚に合う中国料理を供しただけでなく、レシピも公開。これによって、彼が得意とした四川料理も日本流にアレンジされて広まることになります。その代表的なものが、担々麺でした。
彼が生まれ育った四川省自貢で誕生した担々麺は、汁なしの小さなもので、当初は自分が営む日本の店でもこのスタイルで客に供していました。ところが、当時の日本人の味覚には合わずに不評だったようです。
そこで彼は、先に日本流にアレンジされて広まっていたラーメンをヒントに、芝麻醤(チーマージャン)というゴマのペーストを加えた多めのスープに変えて提供すると、これが一躍評判に。かくして日本では、陳氏のレシピの坦々麺が一般的な担々麺になりました。
ちなみに、陳氏の息子さんは同じく料理人として活躍している陳建一氏。料理人同士がその腕を競い合うテレビ番組「料理の鉄人」に登場して数々の名勝負を繰り広げ、父に負けず中国料理の普及に尽力した人物です。
つまり、担々麺を日本で広めたのは“鉄人の父”ということになるわけですね。

担々麺と坦々麺はどう違うのか?

担々麺は、そのルーツが天秤棒を“担いで”売り歩いたことから付けられたため、「担」の字を使うのが理屈に合っているといえます。ところが、なかには「坦」の字を使う例も見られます。
「坦々」とは、平らな土地や道を表現するときに使う言葉で、日本語の発音が同じであったために誤用されたようです。初期のワープロやパソコンの漢字変換には「担担麺」という固有名詞が登録されておらず、「たんたん」と「めん」を別々に変換する際に「坦々」を気付かずに使ったものが残っているという説が有力だとされています。
中国で「坦々」という表記が使われることはありません。また、ルーツである中国・四川省では「担担麺」という名称が地方政府によって商標登録されています。これによって、政府直営のレストラン以外では「担担麺」という表記は使うことができなくなっています。
日本ではルーツにこだわらず、どんどん進化を続けている担々麺。食べ比べのために横浜中華街を訪れてみるのもまた一興です。

参 考

  • 担担麺(ダン・ダン・ミェン)|ドダン・ブーファンのポトフ
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