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うんちく

横浜はビール発祥の地

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さまざまなモノの発祥の地として知られる横浜ですが、実はビール発祥の地でもあります。日本初のビール醸造所を建てるうえで、なぜ横浜が選ばれたのでしょうか。その答えは、ビールが誕生するまでの歴史に秘められているようです。今回はその歴史を紐解き、ビール誕生までの軌跡をたどります。

アメリカ人技師の手で、ビールが誕生

港町である横浜は、西洋文化の入り口といえる地。明治時代の初め頃、流行に敏感な横浜の人々を夢中にさせていたのがビールでした。このビールはスプリングバレー・ブルワリーでつくられたもので、日本で初めて継続的に醸造された商用ビールです。日本でつくられたといっても醸造者は日本人ではなく、ノルウェー出身のアメリカ人技師、ウィリアム・コープランドです。
天沼の湧き水を使用したビールは、横浜在留の外国人たちが火付け役となり、多くの評判を集めました。やがて東京や長崎など他の都市にも出荷されるようになり、日本人にも飲まれるようになっていきました。

決め手は横浜のきれいな水

日本でのビールづくりは、決して平坦なものではなかったようです。
当時の日本は、ビールを醸造するための設備や原料、動力などがなく、まったく環境が整っていませんでした。そこでコープランドは、池に流れ込む湧水を動力とする麦芽粉砕用の水車を設置したり、冷凍機がなくても麦汁を自然に冷やせるように冬に仕込みを行ったりといった工夫を重ねます。相当な苦労だったようですが、それでもコープランドは横浜の地にこだわり続けました。
しかし、どうして環境が整っていない横浜でのビールづくりにこだわったのでしょうか。
その理由は横浜のきれいな水です。ビールづくりに欠かせない水は無色透明で無味無臭、生物的に汚染されていないことが求められますが、横浜・天沼の水はこれらの条件を満たす理想的な水だったのです。
横浜の天沼にビールづくりに最適な水を見つけ、横浜にこだわり続けたコープランドの意志を継ぎ、スプレングバレー・ブルワリーはその技術をさらに高めていきます。1881(明治14)年には、日本人の口に合うビールを発売。日本でのビール文化を着実に広めていったのです。

そしてキリンビールが誕生した

ビール醸造で成功を収めたスプレングバレー・ブルワリーですが、その後経営不振に陥り、1884(明治17)年には倒産という事態に。しかし、倒産後も培われた技術は生き残りました。コープランドのもとで修業を積んだ日本人醸造者たちが全国へと飛散し、ビール国産化の流れを形成していったのです。
スプリングバレー・ブルワリーの土地や建物は、日本に住む外国人経営者が運営するジャパン・ブルワリーに引き継がれることになります。そして、このジャパン・ブルワリーが私たちもよく知っている「キリンビール」を発売。現在のキリンビールの原型が誕生したのは、なんと明治時代のことだったのです。

ビール発祥の地でその味を堪能しよう

横浜市鶴見区生麦にあるキリンビールの工場では、ビールの歴史を学んだり試飲を楽しんだりすることもできます。工場見学も可能で、ビールづくりの流れを勉強できるだけでなく、おいしく飲むための注ぎ方も伝授してくれるのだとか。また、工場に併設する「スプレングバレー・ブルワリー横浜」では、明治の横浜を彷彿とさせるクラシカルな雰囲気を味わいながら、おいしいクラフトビールを堪能することができますよ。

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