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文化

2016.05.12

かもめの水兵さんは横浜港の歌

1505-01

童謡として老若男女から親しまれている「かもめの水兵さん」。
青空で揚々と羽ばたくかもめの姿が目に浮かぶような明るい歌ですが、歌中に描かれた港が横浜港であることはご存じですか? 山下公園敷地内氷川丸の傍には、「かもめの水兵さん」の歌詞が描かれた碑が建っており、発祥の地であることが伺えます。今回は、この歌が作成された経緯を追ってみましょう。

歌の舞台は昭和初期の横浜

「かもめの すいへいさん/ならんだ すいへいさん」
懐かしいこのフレーズを、一度は口ずさんだことがあるのではないでしょうか。これは、童謡「かもめの水兵さん」の歌い出しです。
1937年に発表された「かもめの水兵さん」は、作詞を手がけた武内俊子さんがハワイへ立つ叔父を見送る際に、現在の山下公園の空をかもめが飛んでいた風景にインスピレーションを受け、歌詞につづったとされています。つまり、この歌の舞台は横浜港なのです。
碑が建てられているのは山下公園付近にある大さん橋ふ頭で、かつてはメリケン波止場と呼ばれていた場所。
メリケンとは、英語のアメリカンが訛ってメリケンといわれるようになった横浜言葉の一つです。開港とともに横浜の街は、アメリカをはじめ他国との交流が盛んになり、大きな賑わいを見せていました。
「かもめの水兵さん」はそんな時代の横浜港の姿が描かれた、日本を代表する童謡の一つなのです。

教科書に掲載されるほどの名曲に

汽笛とともに船が波止場を離れていくなか、秋晴れの夕暮れ空を飛び交う数十羽のかもめたち。美しい光景に魅了された武内さんは、帰路の最中に早速その想いを詞にのせたといわれています。
そして、歌詞を書き上げた武内さんは、すぐさま電話で河村光陽さんに連絡し、作曲を依頼。電話で歌詞を聞いた河村さんも、すぐに動きます。ピアノでメロディーを与え、その日のうちに曲を完成させたというエピソードも残っています。
やがて教科書に掲載されるほどの国民的童謡へと成長した「かもめの水兵さん」は、日本だけでなく、世界各国の子どもたちに歌い継がれるようになりました。外国語版は英語だけでなく、韓国、ドイツ、フランス、ヒンズーなど10種類もの言語で歌われているといいます。
これは、作曲者である河村光陽の長女・順子さんが、教師の仕事で海外出張をした際に、現地の言葉で訳詞をする活動に励んだためです。日本のみならず世界中で歌われるようになった「かもめの水兵さん」は、世代や時代、国境をも超え、今も多くの人たちから愛され続ける名曲と言えるでしょう。

横浜港で名曲に描かれた風景を堪能して

横浜港を一度でも訪れたことがあれば、「かもめの水兵さん」の歌詞の世界に横浜港を馳せることができるのではないでしょうか。並んだ水兵さんたちの姿がぱっと思い浮かびますね。
爽やかな晴天の日、大きく翼を広げて飛び回るかもめの姿は雄大で美しいもの。作詞家の武内さんが描いた風景を見るなら、夕日のきれいな午後の時間帯に足を運ぶことをおすすめします。
ちなみにかもめは渡り鳥なので夏場はあまり見かけません。通年でよく見られるのはウミネコなので、お間違えのないように。

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