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横浜中華街をもっと知ろう〜中国に関する豆知識〜

歴史

2016.04.01

日本初の西洋式道路

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さまざまなモノの発祥の地である横浜。実は、道路の歴史においてもその名を刻んでいます。日本で初めて造られた西洋式道路。明治時代のメインストリートでもあったその通りは、一体どこにあるのでしょうか。

きっかけは大火災

「日本大通り」は横浜港と、横浜スタジアムのある横浜公園とを結ぶ一本の通りです。今もなお健在で、毎日多くの人が行きかいます。イギリス人建築家のリチャード・ブラントンによって明治3年に設計され、同8年に命名された日本初の西洋式街路です。
日本大通りが造られたきっかけは、慶応2年の大火災。現在の末広町にあたる日本人街で起きた火災によって、日本人街の約3分の1、外国人居留地の4分の1が焼失する惨事となりました。
この大火災で防火意識を強く持った外国人が復興に尽力し、幕府に対して災害対策を考慮した近代的な都市計画を提案。これを受けた幕府がイギリスやアメリカ、フランス、オランダの領事と協議を重ねていくなかで完成したのが、日本大通りと現在の横浜公園だったのです。

横浜の重要な施設が並ぶ官庁街

明治時代には多くの人や人力車で賑わう横浜のメインストリートとしての役割を果たすことになる日本大通りの特徴は幅員です。当初から36メートルもの幅員を誇り、通りの両側には3メートルの歩道、9メートルの植樹帯が設けられました。しかし、広々とした幅員が自慢であった日本大通りは、関東大震災の影響を受けることになります。復興整備によって幅員は22メートル、歩道は植樹帯も含めて7メートルにまで縮小されてしまいました。
しかし、平成14年には再び整備が行われ、歩道の幅員は13.5メートルにまで拡大。日本大通りが完成した当時の面影を忍ばせる幅員になり、ゆったりとした姿を取り戻しています。
そしてもう一つの特徴は、横浜を支える官公庁が数多く並んでいる点でしょう。神奈川県庁や横浜開港資料館、横浜郵便局、旧商工奨励館、旧市外電話局、横浜地方・簡易裁判所、三井物産横浜ビル、旧関東財務局など、重要な施設が立ち並んでいます。地元の人々にとって欠かせない大切な官庁街でもあるのです。

デートスポットとしても人気

ただの通りだとあなどれない、さまざまな魅力を持った日本大通りは、横浜散策やデートスポットとして人気の場所にもなっています。
おしゃれなカフェや雰囲気の良いレストランも多く、冬にはクリスマスイルミネーションがきらめきます。夏はオープンカフェで新緑を眺めながら、お茶を飲むのもいいですね。
しかし、特に必見なのが秋の日本大通りです。歩道に植えられたイチョウが黄葉する季節は、イチョウの美しさを愛でに多くの人が訪れます。黄色く染め上げられた日本大通りの風情は見逃せません。

日本大通りで歴史と街並みを楽しんで

横浜中華街からも歩いていける日本大通り。普段なにげなく歩いていますが、歴史を感じながら歩くと散歩がもっと楽しくなるでしょう。季節によって変わる表情を追いながら、観光の合間にぶらりと訪れてみてはいかがでしょうか。

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